【過去在籍クラブ】 |
年度
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所属クラブ
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1989-91
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ソシアル・ラモス
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1991-93
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サン・クリストバン
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1993-94
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クルゼイロ
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1994-96
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PSVアイントホーフェン(オランダ)
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1996-97
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バルセロナ(スペイン)
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1997-02
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インテル(イタリア)
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2002-
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レアル・マドリード(スペイン)
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【紹介文等】
ウェイトを落とすことが出来ず、重そうな身体でピッチを走り回る姿を一部では「走るブタ」とまで揶揄する言葉が聞こえてくる。また、プライベートでは結婚→離婚→結婚→スピード離婚、と騒がしいロナウド。バルセロナのロナウジーニョ(「小さなロナウド」の意)の目覚しい活躍から、
「ロナウドとロナウジーニョの名前を交換した方がいいんじゃない?」
とまで言われている。が、彼は紛れも無い怪物である。
彼の凄さはその手にしてきた栄光の数を見れば想像が付くはず。弱冠17歳でセレソンの一員となり、1994年ワールドカップではベンチながらも優勝を経験する、これが彼の輝かしい栄光の始まりに過ぎず、バロンドール2回獲得を始めとするものすごい数の栄光を手にしてきた。2002年ワールドカップではセレソンを優勝に導くとともに自身は得点王に輝く。もう彼をそのまま博物館にしまい込みたいほどの栄光だ。
彼のサッカー選手としての輝きはそのトップスピードの速さがもたらしてくれた。最初に見たとき、彼の速さは群を抜いており、一人だけおかしいなって感じるほどであった。しかし、そのトップスピードは度重なる怪我によって失ってしまう。
彼は若い頃のような疾風の如きスピードは無くともセレソン、レアル・マドリードといった世界最高峰のチームで結果をあげ続ける。一見簡単に見えるシュートに彼のシュートの特徴が詰まっており、ドライブ回転がかかっている。このドライブ回転がかかったシュートと豊富すぎるストライカーとしての経験が今もなお彼が世界最高のストライカー君臨する要因だと。私は思う。
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