【過去在籍クラブ】 |
年度
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所属クラブ
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1974-82
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リバープレート
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1982-83
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ナポリ(イタリア)
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1983-86
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アベリーノ(イタリア)
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1986-88
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フィオレンティーナ(イタリア)
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1988-89
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インテル(イタリア)
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1989-91
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モナコ(フランス)
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1991-93
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リバープレート
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1993-95
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横浜マリノス(日本)
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【紹介文等】
初代Jリーグ得点王を獲得した選手であり、サッカー文化未開の地である日本にて本場のプレーを見せた選手である。
マリノスにおいてビスコンティやサパタといった優秀な助っ人、日産時代からの名選手である木村和司、松永成立らと共に日本の名門クラブらしく強さを見せ付けた。
1979年ワールドユース日本大会においてマラドーナらと共にアルゼンチンを優勝に導いたが、その後マラドーナとの関係が悪化し、1984年ワールドカップを最後に代表において彼を見ることが出来なかった。
リバープレートでの活躍からイタリアへと渡る。ナポリで始まり、たどり着いたインテルではスクデット獲得に大貢献する。
黄金の左足とも賞される彼の左足は強烈でいてかつ精度の高ものである。南米の選手らしい柔らかいボールタッチで相手を翻弄し、フィニッシュは黄金の左足というスタイルで世界有数のストライカーとして名を上げた。
決して恵まれていない体格ながらにしてゴールを量産する彼はまるでサッカーの真髄を知り尽くしていたかのようである。
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