【過去在籍クラブ】 |
年度
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所属クラブ
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1986-87
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レコンキスタ・サンタフェ
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1987-89
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ニュエルス・オールドボーイズ
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1989-90
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リーベル・プレート
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1990-91
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ボカ・ジュニアーズ
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1991-00
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フィオレンティーナ(イタリア)
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2000-03
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ローマ(イタリア)
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2003
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インテル
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2003-05
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アル・アラビ(カタール)
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【紹介文等】
記念すべき日本代表が始めて出場したワールドカップである1998年フランス大会、記念すべき第一戦は強豪アルゼンチン。日本は0−1で負けてしまうが、その時、日本を沈めるゴールを挙げたのがこのバティである。
強力な右足から振りぬかれ、ゴールネットに突き刺さるゴールは「バティ・ゴール」と言われ、強烈なシュートを打つ人の代名詞ともなった。また、長髪をなびかせながら、頭を振りぬき、ゴールの歓声と共に雄叫びを上げる姿はまさに「ライオン・キング」である。(これに出たのはこの人だろ!!この人もサッカー上手いけど。。。)
ストライカーとして最強の武器を持ち備えた彼は当たり前のようにゴールを重ねる。特に私はフィオレンティーナ時代の彼が印象的である。彼がいた頃のヴィオラは強かった。バティとヴィオラは相思相愛のように思えた。一時期は2部に降格したときもあったが、バティはヴィオラのために残留した。
しかし、ヴィオラは財政難に陥り、ヴィオラの宝であるバティを放出せざるを得ない状況となる。 当時のヴィオラを支えるトルド、ルイ・コスタ等と同様に彼もチームのために移籍することとなる。
そしてその移籍先ローマでは日本人プレイヤー中田、王子様トッティ等と共にスクデットを勝ち取ると共に、自身も20ゴールを上げる。皮肉にも愛すべきヴィオラでは成し遂げることが出来なかったスクデットを2部へ落ち行くヴィオラを背に成し遂げることとなる。
アルゼンチン代表としての成績も華々しく、あのマラドーナのゴール数を上回る56ゴールを上げ、現時点ではアルゼンチン代表の記録である。
バティは引退したが、引退表明の際「他の形でサッカーにかかわっていく」ということがあった。これは彼が今後、監督、フロント、その他の形でサッカーに関わっていくことと認識して間違いなさそうだから、私は監督としてフィオレンティーナに戻ってくることを祈ります。
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