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ガリンシャ(GARRINCHA)

名前:マヌエル・フランシスコ・ドス・サントス(Manoel Francisco dos Santos)
ニックネーム:ガリンシャ,マネ,マノーネ
国籍:ブラジル
生年月日:1933/10/28-1983/1/20
出身地:パウグランデ
ポジション:FW(RWG)
身長/体重:169cm/72kg
代表デビュー:1955/9/18
【過去在籍クラブ】
年度
所属クラブ
1947-53
FCパウグランデ
1953-65
ボダフォゴ
1965-68
コリンチェンス
1969
フラメンゴ

【紹介文等】
伝説の右サイドドリブラーであり、ペレと比較されるほどの存在であった。ペレが神様ならガリンシャは悪魔である。
子供の頃にかかったポリオという小児麻痺の影響で左足が右足より3cm短く、更には背骨がS字に歪曲しているというハンデを負っていたが、そんなことは彼のサッカーにはお構いなしであった。(ちなみに彼の家は非常に貧しく、医者に診てもらうお金などなく若い医者に無料で診てもらう程であった。)

彼は恐るべきスピードの持ち主で、緩急の激しいドリブルは手の施しようがなく、変幻自在のボールコントロールと全身を使ったトリックはもはや神の領域と通り越した悪魔のドリブルであった。

19歳の時、ハンデを背負った彼は名門ボダフォゴの入団テストを受ける。そこで彼は当時のスタープレイヤーであり当時最高の左サイドバックとまで賞されていたニウトン・サントスを完璧に翻弄し、即サインにまで持ち込んだというエピソードもある。

「ガリンシャが右肩を落とすだけでDFがふっとんだ」
「ボールを置いて相手を釣り、歩いてボールまで戻った」
「GKまで抜いておきながらわざわざもう一度戻ってDF陣ごと再び抜き去ってゴールした」
「シュートはバナナのように曲がってゴールに吸い込まれた」

等という逸話まで残している。どこまで本当なのかは疑問符が残るが、目の肥えたブラジル人をそこまで熱狂させる選手は数少ない。

1958年,1962年と続けてブラジルをワールドカップ優勝に導いた奇跡のドリブラーの最期は貧困とアルコールに溺れ、アルコール瓶を抱えたまま49歳でその人生に幕を閉じた。
天衣無縫な性格である彼らしいといえばそれまでであるが、そこが神様になるか悪魔になるかの境界線なのかも知れない。

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