【過去在籍クラブ】 |
年度
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所属クラブ
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1971-77
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コレヒオ・セレドン
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1978-83
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ウニオン・マグダレナ
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1984
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ミジョナリオス
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1985-88
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デポルティボ・カリ
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1988-91
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モンペリエ(フランス)
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1991-92
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バジャドリード(スペイン)
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1992-93
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インディペンディエンテ・メデシン
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1993-95
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ジュニオール・バランキア
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1996-98
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タンパベイ・ミュティニー(米国)
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1999
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マイアミ・ヒュージョン(米国)
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1999-03
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タンパベイ・ミュティニー(米国)
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【紹介文等】
コロンビアの英雄と賞される20世紀においてコロンビアサッカー史上最高の栄誉を得たスーパースターである。1950年にしかワールドカップに出場したことのないコロンビア代表を1990年大会から3大会連続して出場を果たした最大の功労者である。
金髪アフロという派手な風貌からは想像も出来ないほど、彼のプレーは基礎を忠実に守ったシンプルかつ的確なものであり、チームの司令塔としてボールタッチ数は抜群に多いながらも平凡なトラップミスなどありえないほどに丁寧なプレーが出来る選手である。
また常に冷静な判断力を下すことができ、広い視野での状況判断能力も優れている。チームの司令塔として最高の攻撃の基点を作り、更には瞬間的に判断が求められる切羽詰った状況においてもその冷静な判断力は変わる事がない。
彼のその風貌は否が応でも目に入ってしまう。そんな味方相手の両方からピッチの上においても注目を集める彼は味方にとっては司令塔を示す最大の目標点であり、相手にとっては他の選手の気を散らす障害物でったのだろう。たとえ彼をギッチリマークしたら他の選手にスペースを与えてしまう、更には司令塔である彼を抑えきることは至難の技であったのだから。
コロンビアの英雄は代表キャップ数111という偉大なる記録を持ち、代表引退後は40歳過ぎるまで現役でプレーをした世界が誇る鉄人でもあったのだ。
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