【過去在籍クラブ】 |
年度
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所属クラブ
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1990-92
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エストゥディアンテス
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1992-96
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ラシン
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1996-00
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バレンシア(スペイン)
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2000-04
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ラツィオ(イタリア)
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【紹介文等】
その圧倒的な俊足にてピッチを疾風の如く駆け抜ける世界屈指のウィンガー。そのスピードで相手陣内を撹乱し、その左足から正確なクロスと強烈なシュートを放つ。
ラシンにて頭角を現し、代表にも選ばれるほどにまで成長した彼はスペインのバレンシアへの移籍を決める。バレンシアにおいては好不調の波はあったものの、99/00シーズンにおいてはチームをチャンピオンズ・リーグ準優勝に導く働きを見せた。
その後、昨シーズンスクデット獲得のイタリアの名門ラツィオに移籍するものの怪我とチームの財政難に泣かされ、好成績を残すまでには至らなかった。
代表においては、1996年アタランタオリンピックでは母国銀メダルに貢献、1998年、2002年の両ワールドカップにおいて主力として出場している。優勝候補であるアルゼンチン代表が両大会において結果を残すことが出来なかったのは残念であったが、彼は1998年大会においてワールドカップ通算100ゴールという節目のゴールを決めた。
また、2002年大会では「バティストゥータはエースにふさわしくない」というチーム内における蟠りを示すかのような問題発言を残したのも話題となった。
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