【過去在籍クラブ】 |
年度
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所属クラブ
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1971-79
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UNAM
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1979
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サンディエゴ・ソッカーズ(米国)
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1979-80
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UNAM
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1980
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サンディエゴ・ソッカーズ(米国)
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1980-81
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UNAM
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1981-85
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アトレチコ・マドリード(スペイン)
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1985-92
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レアル・マドリード(スペイン)
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1992-93
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アメリカ
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1993-94
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ラージョ・バジェカーノ(スペイン)
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1994-95
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アトランテ
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1995-96
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リンツ(オーストリア)
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1996
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ラダス・バーン(米国)
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1997
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アトレチコ・セラヤ
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【紹介文等】
リーガにおいて4シーズン連続得点王という前人未到の離れ業を成し遂げた選手であり、メキシコ人プレイヤーとして20世紀最高の成功者である。
メキシコにおいてもその類稀なゴールセンスやストライカーとしての資質は認められていたが国立自治大学を卒業する1981年までは海外移籍を控えてメキシコやアメリカといった近場でのプレーとなるが、彼が大学を卒業する1981年にスペインのアトレチコ・マドリードへ移籍する。
移籍先のアトレチコ・マドリードでは彼の評価はさほど高くはなかったものの優れた得点感覚とポジショニングの良さ、精確な左足のキックとアクロバティックなプレーで多くのファンを熱狂させ、スペインにおいても確固たる地位を確保することとなる。
そしてアトレチコ最後の年には初の得点王に輝き、それを置き土産にアトレチコ最大のライバルチームであるレアル・マドリードへと移籍する。
抜群の得点能力と運動神経を持つ彼の移籍により、レアル・マドリードはディ・ステファノ所属時依頼の第2期黄金時代を迎える。
レアル・マドリードはウーゴ・サンチェス加入から5シーズン連続でリーグ優勝を果たし、彼自身も3年連続の得点王、通算4度の得点王を獲得する。89/90シーズンにおいてはゴールデン・ブーツ(38得点)も獲得する。彼のキャリアの栄光はレアルにあり、レアルは彼所属時に多くの栄光を勝ち得る。
代表においても特殊な存在であり、1986年自国開催のワールドカップ時においてその多忙さからチームに合流して練習に参加する機会が少なく、彼の活躍が懸念されたものの、そんな心配をよそに彼は活躍をし、チームをベスト8に導いた。その華麗なるプレートゴールを決めた後のお決まりのバック転に大いなる喝采を浴びた。
ちなみに彼の父と兄がサッカー選手、妹がオリンピック体操の選手というアスリート一家である。
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