【過去在籍クラブ】 |
年度
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所属クラブ
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1995
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ブロンビーIF(デンマーク)
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1995
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ガラタサライ(トルコ)
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1996-97
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コロンバス・クルー
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1997-00
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リバプール(イングランド)
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2000-
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ブラックバーン・ローバーズ(イングランド)
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【紹介文等】
彼はロサンゼルス州立大学(UCLA)出身のサッカー選手であり、学生時代には全米選手権優勝という肩書きを持って1992年バルセロナオリンピックにも出場している。
また、彼は学生時代にフル代表デビューを果たしているが、代表においてはあまり目立った活躍をすることが出来ずに代表を引退した。
大学を卒業後は代表専念時期を経てデンマークのブロンビーとプロ契約を果たす。しかし、ここではあっという間に放出されてしまい、トルコの名門ガラタサライへと移籍、そしてすぐに母国アメリカへと戻ることになるが、コロンバス・クルーにおいての彼の活躍がイングランドの強豪リバプールの目に止まり、再び海を渡る。
リバプールにおいてはポジション獲得まで至らず、2000年にブラックバーンへと移籍を決める。ようやく彼はここでレギュラーの座を射止めることとなる。
彼のプレーはダイナミックでかつ冷静、巨体でありながらも俊敏、チーム最後方から野太い声でチームを躍起立たせるその姿は守護神と呼ぶに相応しい。
サッカー後進国アメリカと呼ばれていた頃に積極果敢に海外にチャレンジをし、見事にそのポジションを奪い取ったその功績は大きく、アメリカサッカー界の進展に貢献した男と言っても言いすぎではないと思う。
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