【過去在籍クラブ】 |
年度
|
所属クラブ
|
1995-99
|
VfLボルシア・メンヘングラッドバッハ
|
1999-02
|
ヘルタ・ベルリン
|
2002-
|
バイエルン・ミュンヘン
|
【紹介文等】
ドイツ待望の天才司令塔。精度の高い長短のパスを持ち、華麗でかつ創造性溢れるプレーで見るものを魅了する。ドイツにおいて数少ないファンタジスタタイプの選手である。
ヘルタ・ベルリンにおいてその才能は開花が見込まれると彼は若くして代表に選出される。
2000年欧州選手権において3戦全敗という不甲斐無い結果のドイツ代表の中で唯一高評価をもらった選手であり、新生ドイツ代表を担う選手としての期待は高まる一方であった。
しかし、彼は世間の期待通りにはいかなかった。彼の最大の敵は怪我であり、度重なる怪我により彼は多くの時間を怪我を治すことやリハビリに時間を費やすようになる。
ドイツ代表の快進撃を見せた2002年ワールドカップも代表には選ばれるもののピッチに立つことは出来なかった。その後彼の状況は更に悪化する。怪我の多い選手生活とスターであるが故の世間の厳しい評価、彼は心を痛め、遂には2003年11月にうつ病が発病し約5ヶ月間の離脱を余儀なくされる。これにより2004年欧州選手権も彼はピッチに立つことが出来ない。
うつ病を克服し、精神的にも肉体的にも回復の兆しを見せた彼は04/05シーズンからは徐々に本来の切れを取り戻すようになる。開幕前には彼得意のFKも決め、元気な姿を披露する。
ドイツ代表監督にクリンスマンが就任してから、彼は約1年ぶりに代表に選考される。最初の頃はブランクを感じさせるプレーであったが、そんな彼を使い続けてくれるクリンスマンの期待に答えるかの如くドイツの神童ダイスラーは以前の輝きを取り戻し始める。
|