【過去在籍クラブ】 |
年度
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所属クラブ
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1980-83
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フローニンヘン
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1983-86
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アヤックス
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1986-89
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PSVアイントホーフェン
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1989-95
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バルセロナ(スペイン)
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1995-97
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フェイエノールト
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【紹介文等】
キャノン砲のような強烈なフリーキックを持つ攻撃的なリベロであり、イタリアのバレージと並び称されていた。
後方からの精確なロングキックによりインパクトのある効果的なチャンスメイクをする。自身が蹴るパワフルかつ精確なフリーキックは相手を吹き飛ばしてしまいそうな勢いであり、壁になる選手が可哀想で仕方がないほどだ。
ファン・バステン、フリット、ライカールトのミランに所属していた「オランダトリオ」に加え代表になると彼が加わり強烈な「オランダカルテット」を形成する。ファン・バステンといった世界最高のストライカー、フリットといった世界最高のユーティリティープレイヤー、攻守に絡む最高の中盤にはライカールトがいて、最後尾には大砲のようなフリーキックと正確無比のロングパスを持つ最高のリベロである彼がいた。
80年代後半から90年代前半のオランダのアクティブなサッカーには彼の存在が絶対であった。その結果として、オランダに欧州選手権優勝という最高の栄誉をもたらしたのだ。
クラブチームにおいてはPSVにおいて彼が所属した3シーズンを全て優勝する。87/88シーズンにおいてはチャンピオンズ・カップを制する。その彼の活躍を見込んだ名将クライフは彼をバルセロナへと引き抜き、そこでもクライフ監督の期待に応えチームはリーグ4連覇という偉業を成し遂げる。特に91/92シーズンにおいてはチャンピオンズ・カップ決勝戦対サンプドリアでは試合は延長戦にもつれ込む中彼のキャノン砲がサンプドリアのゴールに突き刺さり、優勝を導く最高のゴールを上げた。
彼の華々しいキャリアにおいて2度トヨタカップに出場しているが、その両方において世界一を奪うことが出来なかった。この2敗は本当に悔しかったであろう。
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