【過去在籍クラブ】 |
年度
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所属クラブ
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1971-72
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プラト
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1972-75
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ユベントス
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1975-76
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コモ
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1976-79
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ビチェンツァ
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1979-80
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ペルージャ
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1980-81
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ビチェンツァ
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1982-85
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ユベントス
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1985-86
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ミラン
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1986-87
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エラス・ベローナ
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【紹介文等】
世界有数の強運の持ち主であり、素晴らしいサッカー選手としての嗅覚とその並外れの強運にて母国を優勝に導きいた「黄金の子」である。
熱狂的なフィオレンティーナファンの父の影響でプロサッカー選手になった彼、77/78シーズンにて昇格したばかりのビチェンツァにて21ゴールを上げ、得点王に輝く。その活躍を見込まれ1978年ワールドカップに出場する。当初経験不足の声も投げかけられていたが、その持ち前の得点を嗅ぎ分ける嗅覚と勝負強さにて大会3ゴールを上げ、イタリアをベスト4へと牽引する立役者となる。
その後、彼は「八百長」疑惑にて2シーズンの出場停止処分を受ける。2シーズンのブランクは1選手として致命的なものであったのかも知れないが、彼は1982年ワールドカップ直前にて復帰する。上層部における「パオロがいなければ誰が決める」との判断からだそうだ。
リーグにおいてほどんど試合をしていない彼を起用することはある意味冒険であったが、勝負強く、強運の持ち主である彼は、このチャンスを逃すはずが無い。彼の大活躍によりイタリアは世界一となる、そして彼は得点王となり、同年バロンドールまでも獲得することとなる。
彼のキャリアにおいて「運」というものが付きまとうが、その「運」をしっかりと物にするだけの技量を持ち合わせており、更にはどんな状況にも屈しない世界最高級のハートを持っていたからこそ、世界の頂点に達することが出来たのであろう。
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