【過去在籍クラブ】 |
年度
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所属クラブ
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1976-88
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ニューカッスル・ユナイテッド
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1988-92
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トットナム・ホットスパー
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1992-95
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ラツィオ(イタリア)
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1995-98
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レンジャーズ(スコットランド)
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1998-00
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ミドルスブラ
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2000-02
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エバートン
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2002-03
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甘粛天馬(中国)
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2003
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アル・ジャジーラ(UAE)
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2003
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ウルバーハンプトン・ワンダラーズ
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【紹介文等】
イングランドタブロイド紙を騒がせる代表的な「悪童」である。しかし、ただの「悪童」ではただの嫌われ者で終わってしまうところだが、彼は最高のサッカー選手であり、最高のトラブルメーカーであったことから、意外と愛されるキャラクターであった。
ずんぐりむっくりの体型はサッカー選手らしくはなかったが、豪快でありながらも繊細なプレーをし、更にはイングランドの暑い魂をピッチ上で振り撒いていた。
技巧的なドリブルとパワフルなシュート、そしてファンタジーを起こす精度の高いパスはチームにおいて欠かすことの出来ない存在であり、トットナム時代にはリネカーに絶妙なるパスを提供し続け、90/91シーズンにはFAカップを獲得する。
代表においてはシアラーやシェリンガムといったイングランド屈指のストライカーとのコンビネーションは絶大なる攻撃力を発揮し、1990年ワールドカップではチームを4位に導き、1996年欧州選手権においては対スコットランド戦においてスーパーゴールを上げ、彼のプレーを世界に焼き付けた。
しかし、最高の「悪童」はアルコールにより選手生命を縮めた。酒が絡んだいざこざは数知れず、更にはアルコール依存症により1998年ワールドカップは代表選考から外されてしまう。その後キャリア終盤においてCリーグへの移籍を決めるが、ここでも住み慣れない地での寂しさを紛らわすかのごとくアルコールに走ってしまう。
イングランドの「悪童」は最後まで「悪童」であり続け、最後までガッザらしくキャリアを終えた。そんな彼はやっぱり愛すべき存在である。
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