【過去在籍クラブ】 |
年度
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所属クラブ
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1986-88
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バイヤー・ユルディンゲン
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1988-90
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ハンブルガーSV
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1990
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ボルシア・メルヘングラッドバッハ
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1990-91
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SVザルツブルグ(オーストリア)
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1991-95
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アスコリ(イタリア)
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1995-98
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ウディネーゼ(イタリア)
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1998-01
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ミラン(イタリア)
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2001-02
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モナコ(フランス)
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2002-03
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キエーボ・ベローナ(イタリア)
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【紹介文等】
ドイツ人としては珍しくドイツから離れて活躍を見せた選手であり、18歳でプロデビューを果たすものの活躍することが出来ずチームを転々とし、遂にはオーストリアに活躍の場を探しに出る。
オーストリアのSVザルツブルグにおいて23得点の活躍を見せ、イタリアへの移籍のきっかけとなるが、移籍したアスコリはセリエBに降格してしまう。
セリエBにおいて奮起する彼に目をつけたのが彼の恩師でもあるザッケローニであった。ザッケローニ率いるウディネーゼに移籍するや否や彼の才能が大爆発。セリエAにおいて得点王をも獲得してしまう。
まだ、この頃、代表においては1996年欧州選手権があり、クリンスマンと共に活躍を見せる。決勝戦まで活躍の出来なかった彼であったが、決勝戦対チェコ戦、後半投入された彼はすぐに得意のヘディングにて同点にし、延長戦では値千金の逆転ゴールを決め、ドイツを欧州一に導いた。この功績から「ゴールデンボーイ」と呼ばれるようになる。
ザッケローニ監督がミランへと移るや否やビアホフもミランへと移籍する。低迷期のミランにおいて彼の活躍は止まらず、98/99シーズンにはスクデット獲得に大きく貢献した。
ミランにおいてはベルルスコーニ会長の意から放出対象となり、モナコにおいてはデシャン監督との起用法についての衝突により移籍を繰り返す。そして2002年ワールドカップ終了後に再びイタリアへと舞い戻る。
彼のキャリア最後のチームとなるキエーボにおいて、公式戦最後の試合である対ユベントス戦においてハットトリックを達成し、波乱万丈な彼のサッカー選手としてのキャリアを有終の美で飾る。(この後キエーボの日本遠征時にベガルタ仙台とも試合をし、これが本当の最後の試合となった。)
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