【過去在籍クラブ】 |
年度
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所属クラブ
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1966-70
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ヘームステーデ・ハーレム
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1970-74
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アヤックス
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1974-78
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バルセロナ(スペイン)
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1978-84
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ニューヨーク・コスモス(米国)
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1985-86
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フローニンヘン
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1986
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フォート・ローダーデール・サン(米国)
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1987
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ローウェンブリュー・フロリダ(米国)
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1987-90
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FCバール(スイス)
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1990-91
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FCザグ(スイス)
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【紹介文等】
伝説の名プレイヤーである「ヨハン・クライフ」と共にトータル・フットボールを体現した偉大なるプレイヤーであり、強いオランダには欠かせない存在であった。
幼少時代からスポーツ万能であり、あらゆるスポーツにおいてその才能を発揮していたがその中でもサッカーは群を抜いていた。
抜群の運動神経を与えられた彼は豊富な運動量でピッチ広範囲を攻守にわたり駆け回り、旺盛なるファイティング・スピリット相手に真っ向から立ち向かい味方を鼓舞する。オランダの前線には天才ヨハン・クライフがおり、中盤にはもう1人のヨハンが待ち構えていた。
アヤック時代には2度のチャンピオンズ・カップ制覇(1度のインターコンチネンタルカップ制覇)を成し遂げている。
1度目は右サイドバックとして、2度目はコンバート後の中盤として経験している。彼はあらゆるポジションを経験し、あらゆるポジションで必要とされる能力を身につけていく。
本職は中盤であるが、その経験からユーティリティー性の高いプレイヤーとして成長を遂げる。
1974年ワールドカップはヨハン・クライフ共に戦った大会であり、無念にも決勝戦でベッケンバウアー率いる西ドイツに敗れる。1978年ワールドカップはヨハン・クライフが代表辞退しチームの弱体化が懸念されたものの見事に決勝までコマを進める、しかし、開催国アルゼンチンを前にもう一歩のところで優勝旗を逃してしまう。
2度の決勝戦敗退を経験したオランダは未だワールドカップ優勝を経験していない。これに関しては後世の名プレイヤーに託すこととなる。
また、PKの達人としても名高い彼はワールドカップ1大会で3本決めるという強靭なハートの持ち主ということも証明した。
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