【過去在籍クラブ】 |
年度
|
所属クラブ
|
1957-73
|
アヤックス
|
1973-78
|
バルセロナ(スペイン)
|
1979
|
ロサンゼルス・アズテックス(米国)
|
1980-81
|
ワシントン・ディプロマッツ(米国)
|
1981-83
|
アヤックス
|
1983-84
|
フェイエノールト
|
【紹介文等】
オランダサッカー史上最高の選手と名高い伝説的なプレイヤー。スピード、技術、得点感覚、判断力、創造力etcどれを取っても世界最高のであった。不意に前線に顔を出しゴールを決めたと思えば中盤にてゲームメイクをする、場合によっては厳しいプレスをかける。
名将ミゲルが実行したかった戦術「トータル・フットボール」は70年代オランダを象徴する現代サッカーへと繋がる戦術であった。ディフェンスラインを高く保ち、前線で厳しいプレスをかけ、ボール奪取後には速攻へ、そのチームの中でも最も流動的に、最もアクティブに体現したのがクライフであった。
彼は伝説のプレイヤーであり、数々の名プレーを生み出してきた。その中でもボールを軸足の後ろからボールを通し、一気に相手を抜きさる「クライフターン」や74年ワールドカップブラジル戦で見せた「ジャンピング・ボレー」は今もなお伝説として語り継がれる。
彼はワールドカップに1度しか出場していない。その理由は「世界最高の大会は1回でいい」らしいです。このコメントにはさすがの私もしびれました。
彼の背番号は「14」。彼がなぜそれをつけるのかというと「誰もつけない番号だから」らしい。クライフがつけていたことで、14番は世界でも有数の人気背番号となり、特に草サッカーでは取り合いになるほどです。
そんな「ヨハン・クライフ」の虜になりました。
|