【過去在籍クラブ】 |
年度
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所属クラブ
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1977-80
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チェスター(イングランド)
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1980-87
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リバプール(イングランド)
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1987-88
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ユベントス(イタリア)
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1988-96
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リバプール(イングランド)
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1996-97
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リーズ・ユナイテッド(イングランド)
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1997-98
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ニューカッスル・ユナイテッド(イングランド)
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1998-99
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レクスハム
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1999-00
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シドニー・オリンピック(オーストラリア)
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【紹介文等】
ウェールズが生んだ最高のストライカー。「ワンタッチ・ゴールの名手」と呼ばれる彼はゴールに対する嗅覚が異常なまでに発達していた。
70年代後半は名ストライカーであるケビン・キーガンのは隆盛を極めるリバプールであり、80年代はイアン・ラッシュがゴールを量産してリバプールを担っていた。
ラッシュは貪欲なまでにゴールを望んだ。いくらゴールを決めても更にゴールを決めたいと思う野心家であり、完璧な選手になるべく常に向上心を持っていた。
83/84シーズンにおいてリバプールを欧州一のチームに導いたが、翌84/85シーズンのチャンピオンズ・カップ決勝戦にサッカー史上最も悲惨な出来事とも言える「ヘイゼルの悲劇」を目の前で目撃することとなる。
イングランドでゴールを量産した後、イタリアの名門であり、84/85シーズンのチャンピオンズ・カップ決勝戦の相手であったユベントスへと移籍する。
しかし、そこでは思うように活躍が出来ずにすぐさまリバプールへと戻ることになる。
リバプールという完成されたチームにおいての彼の役割はフィニッシュであり、それを完璧にこなせるのがイアン・ラッシュであった。彼がイタリアで本来の活躍を見せることが出来なかったのは、ユベントスにおいてその役割を与えてもらえなかったのであろう。
リバプールにおいてチャンピオンズ・カップ優勝を始めとし、1984年にはゴールデン・ブーツ(32得点)、リーグ優勝5回、自身リーグ得点王1回、FAカップ優勝3回と数多くのタイトルを得てきた。リバプール黄金期からそれが収束していくまさに過渡期をリバプールにおいて過ごした選手であった。
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