【過去在籍クラブ】 |
年度
|
所属クラブ
|
1954-64
|
ノルトリンゲン
|
1964-79
|
バイエルン・ミュンヘン
|
1979-80
|
フォートローダーデール(米国)
|
1980-81
|
スミス・ブラザーズ(米国)
|
【紹介文等】
史上最強のストライカーの一人であり西ドイツ全盛期の最強の点取り屋であり、そして名門バイエルン・ミュンヘンの礎をあのベッケンバウアーと共に作り上げた人物。西ドイツ代表としては1972年欧州選手権優勝、1974年ワールドカップ優勝(共に自身得点王)に大いなる貢献をし、バイエルン・ミュンヘンにおいては73/74シーズンからの3連覇を達成する。
また、ワールドカップ通算14得点は現時点(05/8/6)における最多得点のレコードホールダーでもある。彼は文句なしの歴史に残る点取り屋であったのだ。
体格もどちらかといえばずんぐりむっくりであり、足も特別速いという訳ではない。ドリブルにしても彼よりも上手な選手はいくらでもいる。
ヘディングに関しては確かに上手であったが、一見すると彼よりも上手な選手は他にもいそうな気がした。
「ゲルティーのリトルゴール」といって、非常に短い距離からのゴールが多かった。一見すると簡単なゴールが多いが、そこのポジションにいることが出来る嗅覚、ポジショニングに関してはほぼ間違いなく世界一であり、ペナルティーエリアでの彼は別人であった。どんな体勢からでもゴールへとボールを蹴り込む能力に長けており、その能力と彼の持つ「第六感」なるもので常に彼はゴールを量産していた。
世界最高のストライカーは技術だの戦術だのを超越したレベルにいる選手であったのだ。
|