【過去在籍クラブ】 |
年度
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所属クラブ
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1957-60
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スポルティング・ロレンソ・マルケス(モザンビーク)
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1960-75
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ベンフィカ
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1975
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ロードアイランド・オセアナーズ(米国)
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1975
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ボストン・ミニュトメン(米国)
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1975-76
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CFモンテレイ(メキシコ)
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1976
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トロント・メトロス・クロアチア(カナダ)
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1976-77
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ベイラマール
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1977
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ラスベガス・クイック・シルバー(米国)
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1977
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ウニオン・トマール
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1977-78
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ニュージャージ・アメリカンズ(米国)
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【紹介文等】
彼を語る上で欠かすことが出来ないのは1966年イングランド開催のワールドカップである。
大番狂わせによりイタリアを下した北朝鮮がポルトガルの前に立ちはだかる準々決勝。勢いに乗った北朝鮮は0−3とリードするもののエウゼビオ一人に4点を取られ、とどめの1点は彼のアシスト、最終的に5−3にてポルトガルを勝利に導いた。この大会にて9得点と大暴れ、得点王に輝く。
彼は動物的な身体能力、頑丈な身体にしなやかなボールコントロール、弾丸のような強烈なシュートにより強烈なインパクトを与えた。アフリカ出身のサッカー選手として最初の成功者でもある。
「スラムから脱出できるぞ。金持ちになれるぞ」
ベンフィカのスカウトはモザンビークで輝く原石である彼にこう声をかけポルトガルへと連れてくる。彼はそのスカウトの期待に答える。61/62シーズンにはレアル・マドリードを破り、クラブを欧州一へと導く。彼の活躍は一目瞭然であったが、ベンフィカのフロントは彼を好としなかった、その理由は彼の肌の色だけであった。
彼がゴールを決めればチーム財政は潤う。ベンフィカのフロントは海外から殺到する高額オファーを独断で断り、世界が認めるスーパースターであったエウゼビオにわずかの賃金のみしか支払わなかった。それでも彼はベンフィカのためにゴールを決め続けた。そんな冷遇を受けながらもエウゼビオはポルトガルを愛し続けた。
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