【過去在籍クラブ】 |
年度
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所属クラブ
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1979-84
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ラドニキ・ニシェ
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1984-85
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兵役により所属なし
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1985-86
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ラドニキ・ニシェ
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1986-90
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レッドスター・ベオグラード
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1990-91
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マルセイユ(フランス)
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1991-92
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ヴェローナ(イタリア)
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1992-94
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マルセイユ(フランス)
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1994-01
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名古屋グランパスエイト(日本)
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【紹介文等】
日本で最も愛された外国人プレイヤーの一人であり、彼は日本サッカー界の宝物である。
世界随一の美しく、かつ力強いフリーキック、精密なパス。彼のプレーは創造性に溢れていた。彼がピッチに立つだけでスタジアムは盛り上がった。当時の日本はプロサッカーリーグが出来て間もなかったので、彼のプレイレベルは一人飛びぬけた状態であった。
ピッチの上で怒鳴ることも多かった、カードをもらうことも多かった、それは彼が勝負にこだわるプロとしてのガンとした姿勢であり、私個人的にはそんな姿も好きでした。
技術面では欧州でも十分に活躍できる能力をもっていながらも度重なる怪我に悩まされ、そして母国の政治的問題により国際舞台から一時遠のいてしまう。
そんな彼は日本に来、名将アーセン・ベンゲルの下で素晴らしい輝きを見せてくれた。
また、彼の選手としての素晴らしさは元ミランのサヴィチェビッチでさえ、代表では彼に背番号「10」を譲ったというエピソードからも想像できる。
そのうちまた、選手としてではなく、別の形で日本サッカー界に戻ってきて欲しいと私は願う。
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