【過去在籍クラブ】 |
年度
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所属クラブ
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1988-90
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ミラン
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1990-91
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パドバ
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1991-02
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ミラン
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2002-03
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アトレチコ・マドリード(スペイン)
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2003-04
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ラツィオ
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2004-05
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アタランタ
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2005-
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バルセロナ(スペイン)
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【紹介文等】
「ジャンニ・リベラの再来」とまで呼ばれた逸材であり、代表においても、ミランにおいてもその才能は遺憾なく発揮された。
「オランダトリオ」や伝説のキャプテンであるバレージが活躍していた頃のミラン黄金期にデビューを果たすが、ここではまだ若かったデミーには活躍の場は無かったため、レンタルでパドバへと移籍することとなる。
パドバにおいてのアルベルティーニの輝かしいまでの活躍から翌年にミランへと戻り、ミラン黄金期の一員として、中盤からゲームメイクするスター選手へとの成長を遂げる。
状況判断と戦術眼、優れた足下の技術と創造性を兼ね備えていた彼はミランにて多くのタイトルを獲得した。
スクデット5回、UEFAチャンピオンズ・リーグ優勝1回、伝説的選手マルディーニやバレージには及ばないものの彼のまた、ミランの歴史を知る男である。
代表においても彼は輝いており若干20歳で代表デビューを果たし、94,98年ワールドカップと96,00欧州選手権に出場している。
ミランを代表するスター選手である彼は、もちろん生涯ミラン一筋を通すものと私は思っていたが、その予想が間違いだった。
ピルロやアンブロジーニといった若手の台頭、セードルフといった優秀な選手の獲得により、彼はその居場所を失っていった。
02/03シーズンにはアトレチコ・マドリードへ、翌03/04シーズンにはパンカロとのトレード要員となってしまい、ミランのアルベルティーニでは無くなってしまう。
その後、彼はアタランタを経由して元チームメイトのライカールト監督率いるバルセロナへと引き抜かれる。
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