【過去在籍クラブ】 |
年度
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所属クラブ
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1995-97
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鹿島アントラーズ
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1997
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リオデジャネイロ(ブラジル)
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1997
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鹿島アントラーズ
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1998
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ジェフユナイテッド市原
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1999
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CFZ(ブラジル)
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1999
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鹿島アントラーズ
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2000
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川崎フロンターレ
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2000-02
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鹿島アントラーズ
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2002-03
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ゲンク(ベルギー)
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2003
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鹿島アントラーズ
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2003-04
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ヒュースデン・ゾルダー(ベルギー)
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2004-
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鹿島アントラーズ
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【紹介文等】
日本人選手の中では身体能力が高く、ヘディングとポストプレーが得意。フィジカル面での弱さを持つ日本代表において的確なターゲットマンとなれる貴重な存在。
決して得点力があるストライカーではない。その得点力の無さからネット上では「「師匠」(元々は「ノーゴール師匠」1790分間無得点というところから。)とも言われてしまう。
彼は倒されても倒されても這い上がる不屈の精神を持ったファイターである。若い頃にはチームに信頼されずにいた彼があった、日々移るチーム内で結果を残すために躍起になって暴れまわった名残りであろうか。そのプレースタイルからかペナルティーエリア内でもらうファールの数も多く、結果的にチームに貢献できる。
彼は各チームを転々と歩くこととなる。その転々とクラブを変えていた時のその苦痛の思いが、貪欲なまでの得点意識に繋がり、大事な場面での勝負強さに繋がったのであろうか?自国開催ワールドカップベルギー戦での足を伸ばしきったあのゴールは日本国民を歓喜に沸かせた歴史的ゴールの一つである。
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